宇宙、そこは最後のフロンティア

自分が感じている事を、雑多に気ままに書き連ねる、お気軽ブログです。ブログタイトルは大好きなスタートレックからの引用で、内容とは何の関係もありません。

コロナ禍の捉え方の違いの背景にあるもの

コロナ禍は騒ぎすぎだと、このブログやTwitterで、しつこいくらいに主張している自分だけど、その一方で、事実と正しいデータに基づいた判断なら、その上で異なる考え方をする人がいても、公序良俗に反するものでない限り、否定すべきでないのが当然だとも考えている。

だけど、コロナ禍に関する事については、単に考え方の違いと言うに留まらず、事実として、(飲食店や旅行業に限らず)凄まじい数の人々に、人生を狂わせるレベルの被害を与えている訳で、どうしても、色々と言いたくなってしまう部分があるんよね。

日本におけるコロナ禍は、本当にそれだけの事が正当化出来るだけの緊急事態なのか?って。

以下は、自分の主観で、ちゃんとデータを取った話ではないけど、こう言う事をやむを得ないと考えている人って、所謂「優秀で、仕事が出来て、エリートで、どちらかと言えばホワイトな職場にいて、高給取りで、コロナ禍は自身の給与には何の影響もない。」みたいな人が多い気がする。
(それとは別に、何も考えてなくて、雰囲気だけで、しょうがないんじゃない?って考えてる人もいると思うけど、、数としてはこっちの方が多そう)

では何故、「出来る人」は、そう考えがちなのか?

「自分自身には、コロナ禍の経済的影響がなく、変わらず豊かな生活をしてるから、苦しんでいる人に対する想像力が足りないんだよ。」とか言う人がいたりするけど、自分はちょっと違うと思うんだよなあ。

経済的に苦しんでる状況への想像力はあっても、自身に人並み以上の能力があるがゆえに、自分ならこの状況でも成功出来る、あるいは、失敗したところでいくらでもやり直せる自信があり、故に経済的に被害受ける人がいても、それは自己責任と考える傾向が強いように感じる。
また、やり直せば良いだけでしょ、みたいな。
けどね、世の中、そこまでの能力がある人なんて、全体から見たら、ごく一部。

コロナ禍により、一度狂わされたら人生は、その後、ずっと影を落とすかもしれない。

それすらも、その人の能力不足であり、自己責任なんだろうか?
確かに、一部の能力のある人なら、外部環境のせいで仕事を潰されても、何度も乗り越える事が出来るのかもしれない。
だったらやっぱり、乗り越えられないのは、その人の能力の問題で、自己責任じゃん!と言うのも、理屈としては成り立つ。

だけど、自分は、そう言う社会は嫌だなあ、、と思う次第である。

世の中は8割以上は凡人。上記の文脈の中で言えば、無能側の人間なのよ。(自分も含めてね)
そう言う人々に、過剰に自己責任を求める社会が、自分は健全なものだとは思えない。